大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第三小法廷 昭和53年(あ)1578号 決定

本籍

東京都杉並区荻窪一丁目六五〇番地

住居

同 杉並区東荻窪二丁目一二番一四号

会社役員

小井戸正雄

昭和一〇年五月二五日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五三年六月二八日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人東徹、同太田孝久の上告趣意のうち、憲法一四条違反をいう点は、有価証券の譲渡による所得のうち継続して有価証券を売買することによる所得に課税することは、多額の資金を有する投資家と資金の乏しい投資家との間に差別的取扱を是認する趣旨ではないから、所論は前提を欠き、憲法三一条違反をいう点は、所得税法施行令中有価証券の売買の回数に関する規定が不明確であるとはいえないから、所論は前提を欠き、その余の点は、事実誤認、量刑不当の主張であり、すべて刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 環昌一 裁判官 江里口清雄 裁判官 高辻正己 裁判官 横井大三)

昭和五三年(あ)第一五七八号

○ 上告趣意書

被告人 小井戸正雄

右の者に対する所得税法違反被告事件の上告趣意は、次のとおりである。

昭和五三年一一月二日

右弁護人 東徹

同 太田孝久

最高裁判所第三法廷 御中

第一点 原判決は憲法第一四条の違反(法の下の平等違反)があり、原判決は破棄されなければならない。

(理由)

所得税法九条一項一一号イ、同法施行令二六条一項によるが年間五〇回以上および二〇万株以上の継続的な株式の売買に対しては所得税を課することになっている。このような株式の継続性の有無によって課税すれば、多額の資金を有する投資家は一回に巨額の株の取引をすることによって容易に右の制限内の取引に止めて、その売買益に対する課税を免れるであろうし、逆に資金の乏しい投資家は数少く少額の取引をしなければならないから、やむなく右の制限を越えることとなり、課税の対象とならざるを得ない。このように継続性の有無を標準として課税の有無を決めるのは甚だしく不合理で、憲法一四条にいわゆる「法の下の平等」に反するものというべきである。

第二点 原判決には憲法三一条の違反(適正手続違反)があり、原判決は破棄されなければならない。

(理由)

前記のように所得税法施行令二六条一項は年間五〇回以上および二〇万株以上の株の売買をもって所得税法九条一項一一号イにいわゆる継続的売買と見なすとして、これに対して課税することとしている。しかし右の五〇回以上という回数の数え方は非常に不明確で、(一)一回とは委託の回数をいうのか、売買成立の回数をいうのか、(二)一日のうちに何度も委託したり、売買が成立したりするが、その場合どのように扱うのか、(三)委託ないし売買成立の回数はどのような資料にもとづいて決めるのか(取引の銘柄が多数あっても、一枚の総括伝票に記載して証券会社へ提出すると一回として数えるのがならわしとなっている由である)、(四)信用取引における配当所得も売買益として計算されるのか、等問題点が多々ある。このような不明確な規定にもとづいて課税するのは、明らかに憲法三一条にいわゆる法定手続の保障に違反するものというべきである。

第三点 原判決は、これを破棄しなければいちじるしく正義に反すると認められ、判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認がある。

(理由)

被告人は本件確定申告の当時年間五〇回および二〇万株以上の株の売買益に課税されることを全く知らなかったものである。しかるにこれを知っていたとして、被告人を所得税法二三八条違反に問擬して有罪にした第一審判決およびこれを維持した原判決は到底破棄を免れない。以下第一審ならびに原審公判廷に顕出された証拠にもとづいてその理由を陳述する。

一、被告人が年間五〇回以上および二〇万株以上の株の売買益に課税されることを知ったのは、本件確定申告の後である昭和四八年三月二八日の日本経済新聞(以下日経と略称する)の戸栗事件に関する新聞記事によったのが最初で、それ以前の小田原の大工の脱税事件(以下小田原事件と略称する)の記事が日経に掲載された昭和四八年一月二五日当時はもとより、本件確定申告の日である同年三月一五日当時は、右の株の売買益に課税されることを全然知らなかったものであることについて。

1. 昭和四八年一月二五日の日経の小田原事件の記事を被告人が読んでいなかったこと。

(一) 被告人は第一審においては、右の一月二五日には福島県へ出張していたと供述したが、これは被告人の記憶違いで、右日時には被告人は在京していたものである。この点については、被告人が原審公判廷において供述したとおり、第一審当時被告人は毎月下旬に仕事のために出張していたので、右の昭和四八年一月二五日にも同県へ出張していたと思いこんでいた。ところが原審における公判準備のために弁護人が右の小田原事件等の新聞記事を入手するよう被告人に申し付けたところ、国会図書館から右小田原事件の記事のコピー(原審の弁第八号証)、その翌二六日の日経の記事のコピー(同弁第一〇号証の一、二)、昭和四八年三月二八日の戸栗事件に関する日経の記事のコピー(同弁第一〇号証の一、二)、昭和四八年六月一三日の東郷事件に関する日経夕刊の記事のコピー(同弁第二号証の一、二)を入手し、さらに被告人の会社の事務所から同弁第九号証の一ないし四の書面を見付けて来た。これらの各証拠により被告人は徐々に記憶を喚起するにいたったが、結局昭和四八年一月二五日当時には被告人は福島県へ出張しておらず、在京していたことが明らかになった。

(二) 前記各証拠がよび被告人の原審公判廷における供述によれば、次のようなことが認められる。

(1) 右の昭和四八年一月二五日には、被告人は板橋区のアルプスマンションの契約や社員の給料の支払などのため繁忙をきわめていたし、そのうえその日に被告人が約六〇万株を所有していた超一流株である日立製作所の株が史上最高値である二三円高の三二〇円にまで暴騰したため、一挙に一、三八〇万円の利益を上げた。そこでその晩被告人は荻窪駅北口のキャバレーで国井誠と祝盃を上げ、その際同人に二五〇万円を譲渡する約束をした。したがって当日は株の売買益に課税されることが話題に上るような雰囲気では全然なかったものであること、

(2) 被告人は右の昭和四八年一月二五日まで株の売買益に課税されるものであることなど夢にも思っていなかった。また当時被告人は事務所において日経を購読していたが、もっぱら株式に関する記事だけを、それを見出しだけか読まず、社会面はたまに読む程度であった。そして当日の日経の社会面に小田原事件の記事が掲載されていたが、当日は前記のように繁忙をきわめており、また国井との接触状況も前記のようであったから、社会面の左上の片隅の部分に掲載されていた単なる地方の一事件にすぎない小田原事件の記事など全然眼を通さなかったので、そのなかに書かれている株の売買益に課税されることなどを認識するすべもなかったものであること。

(三) しからば被告人は何時右の小田原事件のことを知ったのであろうか。それは被告人の原審公判廷における供述のように、被告人が昭和四八年一〇月のころ査察を受けた後、東京国税局において平尾査察官から小田原事件のことが新聞に出ていたことを聞かされて、始めてそのことを知ったのである。

(四) ところで第一審証人国井誠の証言は全般的に見てあいまいで信用できない部分が少なくないが、とくに同証人は三回にわたり、小田原事件のことが日経に掲載されたときに被告人が野村証券荻窪支店へ来て、「自分は大丈夫かなあ」と言ったと証言している。(一冊四一丁裏以下、同六二丁裏以下、同六七丁裏以下)しかしそのうちの一冊六七丁裏以下によれば、「昭和四八年五月頃被告人から、『マンションを買わないか。価格は一、〇六〇万円で、それを二五〇万円負けてやるから二つ買わないか、』と言われて、自分がこれに応じた。その後被告人は小田原事件のことが新聞に出たことから、税金のことをこわがって来たようす、初めの二五〇万円を負けてやるという話が違って来たのです」と証言している。右によれば小田原事件は昭和四八年五月ころより後のことになるが、小田原事件が日経に掲載されたのは前記のように昭和四八年一月二五日であることが明白である。したがって右の「その後」というのは昭和四八年六月一三日の東郷事件のことが日経夕刊に出たと解すべきものであり、また国井に対する二五〇万円の譲渡の件も、被告人が右金員を国井に譲渡する(国井によればマンション代を負けてやる)約束をしたのは、被告人の原審公判廷における供述のように、昭和四八年一月二五日の晩荻窪のキャバレーにおいてであり、その話が違って来たのは、東郷事件が日経に出たので被告人が野村証券荻窪支店へ赴いた昭和四八年六月一三日のことであると解するのが正当である。右のように、とくに小田原事件の新聞報道のあった日時の点につき誤った供述をしている第一審証人国井誠の証言は到底措信できないものというべきである。

(五) また、第一審証人桝田健司の証言も全般的に見てあいまいで信用し難いところが少なくないが、ただ同証人が、「小田原の大工さんの時新聞に載った時にそれについては、小井戸さんから相談があったということはないと記憶しております」と証言している(一冊一〇二丁以下)部分は真実を述べているものといえる。

2. 本件確定申告後の日経の戸栗事件の記事を被告人が読んで初めて株の売買益に課税されることを知ったこと。

原審の弁第一号証と被告人の原審公判廷における供述によれば、昭和四八年三月二八日の日経の戸栗事件の記事は、社会面の右上部に「株売買で脱税十億八千万」という見出しの六段抜きの大きな記事であったので、自然に被告人の眼に止まり、その末尾に、「現行の税制によると、小規模な株式売買による所得に対しては一万分の十五の有価証券取引税(ふつうは証券会社で天引される)が課せられるだけで、所得税は課税されないが、年間五〇回以上かつ二〇万株以上の大規模な売買による所得は、所得税の対象にされることになっている」と記載されているのを見て、初めて一定限度以上の株の売買益に課税されることを知った。しかしそのときは確定申告の後であったので、被告人はただ右記事を読んだだけで何らの処置にも出なかったことが認められる。

3. その後の日経の東郷事件の記事を被告人が読んで、不安になって桝田支店長を訪れたこと。

原審の弁第二号証の一、および被告人の原審公判廷における供述によれば、右の戸栗事件から二か月半くらいたった昭和四八年六月一三日の日経夕刊に東郷事件のことが政治面に七段抜き、社会面に八段抜きで大々的に報道されていたので、被告人もその記事を読み、そのなかにも一定限度以上の株の売買益に課税されることが記載されていたので、被告人は心配になって桝田支店長のところへ赴き、自分にも課税されるのではないかと問いただした。ところが同支店長から、「東郷事件は会社の自社株取得の禁止に触れるという商法違反では処罰できない。そこでやむなくこれに代って東郷個人の株の売買益に対する所得税法施行令二六条二項違反の事件として検挙したもので、一般人に対しては右の所得税法施行令の規定は死文化としていて適用されない」と聞かされた。そこで被告人は確定申告の後でもあったので、安心して帰り、何らの処置もとらないでそのままにしておいたものであることが認められる。

4. 以上の経過よりすれば、被告人が本件確定申告当時一定限度の株の売買益に課税されるものであることを全然知らなかったものであることは明瞭である。

二、被告人の検察官に対する昭和五一年一月一三日付供述調書の五項の、被告人が右の株の売買益に課税される法律のあることを知っていた旨の供述記載は自白調書といえず、かりに自白調書と認められるとしても信用性がないというべきことについて。

1. 右の五項には、「株の売買で儲けが出た場合は税金をとられるという法律があるということは知っていました」(二冊二二五丁以下)という供述記載があるが、右の供述は被告人が何時それを知っていたのか、その日時につき全然触れていないので、それが本件確定申告の前であるか後であるか一向に分らない。このような日時の特定のない供述記載は自白調書といえず、かりに自白調書と認められるとしても、信用性がないことは明らかである。したがってこのような供述記載を有罪認定の証拠とすることは絶対に出来ないのにかかわらず、第一審判決はその「証拠の標目」欄において右の供述調書を挙示し、そのうえ「弁護人の主張する点に関する判断」欄において右の五項を本件の犯意認定の最大の根拠としているもののように説示している。この点において第一審判決には致命的欠陥があるものと断ぜざるを得ない。

2. 右五項の被告人の知情に関する供述を何時の時点のことであると解すべきかといえば、前記一において詳述したように、また被告人の第一審公判廷における供述(一冊一八二丁以下、同一八三丁以下)のとおり、本件確定申告の後である昭和四八年三月二八日の日経の戸栗事件の記事を読んだときと解すべきことは明らかである。

3. しからば、なぜ右のような供述調書五項が作成されたのであるか。この点につき説明を加えることとする。

(一) 原審の弁第三号証の一ないし五、同弁第四号証の一ないし一七、同弁第五号証の一、二、同弁第七号証の一、二、および被告人の原審公判廷における供述によれば、次のようなことが認められる。

(1)イ、被告人は昭和四八年一〇月ころ査察を受けたために、上場建設会社の得意先が一〇社から一社に減り、年間約五億円あった左官の仕事が一億円に激減し、左官の職人も三、四百人いたのが約三〇人に減り、仕事の上で大打撃を受けたこと、

ロ、被告人の会社の事務所が入っている新宿の小井戸ビルの貸室がオイルショックの影響などでなかなか塞がらず、一方、同ビルの建設費の返済分として毎月四五五万円以上を要したこと、

ハ、借金して広大な自宅を建て、それが査察後竣工したが、その建築費として毎月一五万円余を支払う必要があったこと、

ニ、査察後の昭和四九年七月ころ本件の所得税の本税、延滞税としての合計約六、七〇〇万円という莫大な金額を納付したが、これがその後の金ぐりに非常な悪影響を及ぼしたこと、

以上の諸事情が重なったため、被告人は前記供述調書の作成された昭和五一年一月一三日当時金ぐりにきわめて苦慮していたこと、

(2) 右に加うるに、被告人は昭和四九年秋ごろから一二指腸カイヨウのため身体が衰弱して、疲労状態が右の一月一三日当時まで継続していたこと、

(3) 以上(1)、(2)で見るとおり、被告人は検察官の取調を受けた一月一三日の際には、いわば身心のドン底状態にあったこと、

(4) そのうえ検察官の右の取調に際し、検察官は一応被告人の言分を聞いてくれたし、また検察官から、「本件は結果的に儲かったものであり、なお昭和四七年度の一年間しかやっていないから普通の事件とちがう」といわれたので、被告人もつい安心し、前記のような心身の状態でもあったので、一日も早く調べを終えてもらいたい一念から読聞けに応じ、その一々について確認しないまま署名押印した。

しかるところその後起訴状の謄本が被告人の許に届いたので、被告人は事の意外にビックリしたものである。

(二) 以上のような経緯のもとに作成された右の昭和四八年一月一三日の検察官に対する供述調書、とくに五項には信用性がないものと断ぜざるを得ない。

4. 原判決は右の供述調書五項をはじめ、第一審証人国井誠、同桝田健司の証言、小副川英男、小森和彦の検察官に対する各供述調書、被告人の検察官に対する昭和五一年二月五日付供述調査を総合して被告人に株の売買益に課税されることの知情があったと認めることができるとして、第一号原判決の認定を肯認しているが、

(一) 第一審証人国井誠、同桝田健司の証言はいずれも前記のとおり全般的に見てあいまいで信用しがたいところが少なくないが、

(1) 右国井の証言中、ア、株式の売買と所得税の問題につき被告人に説明したり、被告人から聞かれたりしたことがない旨の供述(一冊四〇丁以下、同四六丁以下)、イ、「被告人の方も税金のことについて心配していなかったと思います」という供述(一冊四二丁)、ウ、「金の売買につき課税されることを別に積極的に説明していません」という供述(同五二丁以下)

(2) 右桝田の証言中(1)のアと同趣旨の供述

はいずれも真実を物語っていると思われる。

なお、右桝田の証言中株式の売買益に課税されることを同証人が被告人に告げた旨の各供述(一冊一〇丁丁以下ならびに同一三二丁以下)があるが、これは被告人が東郷事件の新聞記事を見て桝田に会いに行ったときの話と解すべきであり、また同証人の証言中「株式の売買益に関する所得税の規定は死文化しているということを被告人に言ったことはない」という供述(一冊一〇二丁、および同一三一丁裏以下)は同証人の記憶違いというべきものと考える。

(二) 小副川英男、小森和彦の検察官に対する各供述調書中被告人の本件知情に触れている点は次の個所および小副川に関する後記(三)を除いては他に存在しない。

(1) 小副川の検察官に対する供述調書中五項の「(小井戸さんとの株式の取引期間中)株式の売買と所得税の問題について小井戸さんに私から説明をしたり、小井戸さんから聞かれたりした記憶はありません」という供述(二冊一三九丁以下)

(2) 小森和彦に対する検察官の供述調書中五項の右と同趣旨の供述(二冊一三九丁以下)

(三) 被告人の検察官に対する昭和五一年二月五日付供述調書五項を被告人の本件知情に触れた個所は存在しない。

(四) そこで原審は前記被告人の検察官に対する供述調書五項を被告人の本件知情を認定する最大の根拠としているものと解される。ところで、原判決は右五項の信用性を認める具体的な理由として次の三点を挙げているのでこれにつき批判を加える。

(1) 「右供述調書全体をみると、被告人は本件につき査察を受けたことに対する不満をはじめとして自らの意見、弁護、事実経過等につき詳細供述しており、同調書中の前記供述部分のみが疑わしいとする理由がないこと」と説示している点について――右供述調書によれば被告人が右説示のとおり知情の点以外のことにつき詳細記述していることが認められるが、それ故に五項の知情に関する部分も信用性に疑問がないとするのは明らかな論理の飛躍であり、到底肯認することができない。

(2) 「被告人は第一審および原審公判廷において右供述調書の内容については結局間違いない旨答えていること(第一審記録一冊一八九丁)」と説示している点について――右は被告人の第一審公判廷における供述中の検察官との問題にある「あとで読んで聞かされたんでしょう」「ええ」「間違いなかったんですね」「間違いないというか……僕は眠かったものでね」「検察庁へ来て、調べを受けるのに眠かった……」「ええ」「本当ですか」「ずっと徹夜していたもので……」「そういう意味ですか」「ええ」「それで眠かってどうだったんですか」「話は一応書いたあとに読けでもらいました。で署名しました」「じゃ眠かったかもしれんけど、間違いなかったわけね」「ええ」とある部分を指すものと思われるが、右のように「間違いなかった」と答えたとしても、右供述調書の知情に関するわずか三行の個所を被告人が十分理解して間違いないと信じて署名したものとは到底認められない。そしてこのことは右の問答のあと、一冊二五四丁の個所にある弁護人との問答、「検察庁での調べは十分言いたいことを言ったからということですけどね、さっき言われたように、資金源を隠すために仮名を使ったんだというようなことを検察庁で言っているわけですよね、そんなところからみても、任意にしゃべったわけじゃないんでしょう」「それは覚えていないですけどね」「だから十分少なくとも、このとおりであるということを事実を認めて署名したわけではないですね」「はい」というところからでも裏書される。

(3) 「原判決の証拠の標目欄冒頭掲記の各証拠によって窺われる被告人の事業歴、株式取引歴、株式取引に関する熱意、知識等からすれば、株式の売買による所得には課税されないと信じ込みなどということはかえってきわめて奇異の感を受けること」と説示していることについて――この点については次の諸点よりして、右説示とは逆に、被告人が株式の売買益に課税されると信じ込むなどということこそかえってきわめて奇異な感を受けるというべきである。

(ア) 被告人は本件当時株式の売買はもうかるかどうか分らない一種のバクチのようなものだ(被告人の検察官に対する昭和五一年一月一三日付供述調書五項冒頭、二冊二二三丁裏以下)から、その売買益に課税されることはないと確信していた。そこで本件以前に株の売買をして損をしたときも損金として計上せず、経費の領収証も全然徴しなかったものである。またかりに被告人が右の課税されることを知っていたならば、年間五〇回未満または二〇万株未満の売買に止めて徴税を免れる処置に出たであろうけれども、何らこのような措置に出なかったのは、被告人に右の課税されることの認識が証左であるといえる。

(イ) 第一審証人国井誠の証言(一冊四七丁裏以下、一冊五二丁以下)によれば、同証人野村証券に入社後税務に関する研修を受けていなかったので、前記(一)の(1)の(ア)のように客に積極的に課税されることの説明をしなかったものである。またこのことを客に知らせると、客は儲けが減るので株式の取引から逃げ出すことが眼に見えていたので、あえて告げなかったのが真相である。一般的にモラルの必ずしも高くない証券マンとして、このような態度に出ることはむしろ当然であり、証券会社中とくにガメつい会社として定評のある野村証券の証券マンである桝田や国井においてなおさら然りであるといえよう。

被告人は本件株式の取引の期間中ほとんど毎日のように桝田、とくに国井と接触したが、その際の話はもっぱらいかにして株式売買により利益を得るかということに終始し、株の売買益に課税されるようなことが話題に上るような雰囲気では全然なかったのである。

(ウ) また、当時税務当局が株式の売買益につき一定限度以上のものが課税の対象となることのPRが非常に不足であったことは否定すべからざる事実であり、被告人ももとより本件当時そのことを聞いておらず、また現実に株式の売買益に関する課税の申告をした者のあることを全然聞知しなかったので、その申告をしなかったまでのことである。

(被告人の検察官に対する昭和五一年二月五日付供述調書四項、二冊二三六丁裏以下参照。)

(エ) 原審の弁第二号証の一の東郷事件に関する昭和四八年六月一三日付日本経済新聞の夕刊の記事の中に、次のような記載がある。

「東京地検特捜部、東京国税局の話によると、株の売買による利益は、普通非課税とされているが、所得税法施行令二六条二項により年間取引きが五十回以上で二十万株以上あった場合に限って課税されることになっている。先に逮捕された戸栗の場合もこの施行令に違反したというものだが、今回の東郷の場合も、戸栗と似た手口で他人の名義などを利用して取り引きを行なっていた。この施行令が個人に適用された例は戸栗、東郷らが初めてであり、今回の一連の事件がうまく立証できれば、空前の株式ブームの中で甘い汁を吸っている他の投機家などの経済事犯も、ビシビシと取り締まれると同地検ではみている。」

この記事によっても、被告人が本件確定申告のときまで株式の売買益に課税された者のあることを聞いたことがないことは当然であり、ひいては右課税されることの法規の存在そのものを知らなかったことも大いにありうることであるといえよう。

(オ) 以上のことに関し、第一審証人磯村年夫の次のような証言があるが、これも被告人に本件脱税の犯意がなかったことを立証する資料となるものといえよう。(一冊二一六丁裏以下)

「私の経験でも株の売買益については税金がかからないというのが一評的な常識になっているようで、その関係で税金を申告をしたということを聞いたことがない。自分は二一年間も税務署につとめていたが、その間実際に株の売買益について申告をしたということは一度も聞いたことがない。また私自身申告を受けたという経験もない。税理士でも右に関する課税の基準となる回数と金額につき明確に即答できる人は半分位ではなかろうか。被告人も株に関する税の知識はないと思う。当時被告人からその関係の質問を受けた覚えがないし、私の方から説明したこともなかったから。被告人としては、おそらく税金のことは税理士にまかせておけばいい位の気持で、自分で研究するということはなかったと思います。」

(カ) 小副川英男の検察官に対する供述調書中五項の「私の印象では被告人は株のことをよくご存じで、税金のことについても何もこちらから説明するまでもないといった感じでした。一般に信用取引をやられる程の方は税の問題についてもよくご存じの方が多いようです」という供述(二冊一三九丁以下)、第一審証人国井誠の「一般的にいって被告人は会社を経営している人ですから、税金に関しては詳しいだろうと思っていた」という証言(一冊四一丁以下)、および同桝田健司の「まあ一応自分で事業を経営され、会社の社長さんでもあるし、また他社でも野村証券以外にも取引をなさっていたというようなことももれ聞いていたので、一応これは常識として税金についてはご存じであると認識していた」という証言(一冊一〇一丁裏以下)によれば、被告人は税金についての知識に詳しいもののように解せられるが、被告人は一般の仕事についてはもとより、株の取引についてもいわゆる金儲けに専念して税の知識は非常に乏しく、税金のことはあげて顧問税理士に一任していたというのが真相なのである。したがって株式の売買益に課税されるということに無知であったのも当然であったといえよう。

(キ) 被告人が本件確定申告に際し、株式の売買益による所得の申告だけを行わず、他の所得についてはすべて正しい申告をしている事実も、被告人に脱税の犯意がなかった証左の一つであると考える。

(ク) 第一審判決挙示のとおり、被告人の本件所得年度における株の売買益による所得は約九、五〇〇万円、これに対する所得税額は約六、一〇〇万円という巨額に達している。そこでもし被告人が右の売買益に課税されることを知っていたならば、株のうまみの大半が失われるので、莫大な所得税を免れるため年間五〇回未満、または二〇万株未満の取引に止めるなどして合法的な節税方法を講じたであろうことは十分予想される。しかるに被告人が何らその処置に出なかったのは、課税されることの認識が全然なかったことを明瞭に物語っているものといえよう。

(ケ) 最近ベストセラーとなって洛陽の紙価を大いに高めた参議院議員野末陳平著「調査が証す頭のいい税金の本」の一一三頁以下に次のような記載がある。(原審の弁第一一号証)

「株を売ってもうけた場合、ふつうはまったく課税が生じません。損得に関係なく有価証券取引税が03%かかるだけです。百万円に対し三千円で、これは証券会社の源泉徴収税だから、問題ないでしょう。ただ株式の売買回数が一年間に五十回以上にもなり、売買の株数合計が二十万株以上にもなると、営利目的の継続的行為と思われ、所得税と住民税がかかってきます。

現実にはどうですか。あなたも、株の譲渡益で税金を払った体験など皆無のはずです。一年間五十回以上、二十万株以上なんてきめたかたにどんな根拠があるのか知りませんが、非現実的なバカげた話です。何十万、何百万もうけても、株のもうけには税金がからない、と割りきってもっこうだと思います。

『株の譲渡益非課税は不公平だ。株でもうけるなんてのは金持ちの道楽だから、税金ぶっかけてやれ』

なんて荒っぽい意見もあります。大蔵委員会でも議論されますが、もうけに課税する以上は損失のほうも認めてやらないと不公平ではないか、それに株のもうけは実態が把握しにくくて課税困難、などの理由でまとまりません。せいぜい有価証券取引税を少しあげる程度にとどまるのではないでしょうか。」

右のいうとおり、年間五〇回以上、二〇万株以上という決め方は正に“非現実的な、バカげた話”である。とくにその“一回”というのは何を指すのか、前記のように不明瞭きわまる悪法というべきである。そこで著者も東郷事件が問題となった数年後の今日にいたってさえ、“何十万、何百万もうけても、株のもうけには税金がかからない、と割切ってけっこうだと思います。”といっているし、また、“現実には、あなたも株の譲渡益で税金を払った体験など皆無のはずです。”ともいっている。これによってこれを見れば、被告人が本件確定申告の当時このような法律があることを知らず、またこのような法律によって検挙された者のあることを知らなかったので、巨額の株による売買益を得ながら、“株のもうけには税金がかからないと割り切って”確定申告をしなかったのも至極当り前のことであったといえよう。

三、被告人に対する査察官の昭和四九年三月四日付質問てん末書の四項にも信用性がないことについて

検察官は原審公判廷において右の質問てん末書の証拠調の申請をして裁判所の採用するところとなった。その四項には、「株式の売買益については税金のかかることは知っておりましたが、私の場合仮名取引をしていたので、株式の売買益は絶体に税務署では判らないと思っていたので申告しませんでした、」という記載がある。この点については原判決は何ら触れるところはないが、本件知情に関する証拠として軽視できないものであるから一言する。右の四項によれば、被告人が本件確定申告の当時株の売買益に課税されることを知っていたもののようである。しかし被告人の原審公判廷における供述によれば、査察官は被告人の言分など全然聞かず、少しでも答えないとバカ野郎と怒鳴ったり、下請のところへ調査に赴いたりなどして被告人に対しいやがらせをしたりし、また下請け先を隣室へ呼んで取調をしているのがよく分るので、早く調べを終えてもらいたい一心から、査察官が一方的に問と答を書いて右の質問てん末書を作成したものであることを知りながらも、やむなく非常な不満を抱きつつ署名捺印したものである。

右の被告人の弁明は非常に奇異に思われるかもしれないが、被告人は単純、素朴、卒直、正直な人間であって、口下手であっても決して嘘をつくような人物ではない。その被告人が極めて弁護人に対し、

「査察官の調べは、世間の噂で聞く警察の調べよりずっと態度が悪く、まるでメチャクチャです。自分の言い分など全然取り上げてくれず、勝手に調書を作るのです。このことは私の事件について査察官から調べを受けた下請けその他の関係者が異口同音にいうところです」と述懐している。恐らく査察官は被告人が一年間に約九、五一五万円という巨額の株による売買益を上げたのに全然その申告をしなかったので、始めから脱税の嫌疑があると予断偏見を抱いて査察に着手し、初めは法人税法違反の容疑で調査したが、それで立件することが困難だと判ると、面子上ムリヤリに所得税法違反に切替え、何とでもして脱税で処罰しようとし、右のような高圧的な、一方的な取調態度に出て、質問てん末書を作成したものであろうと推測される。

以上のような経緯のもとに作成された右の質問てん末書の四項の記載もまた、前記検察官調書五項の記載と同様、到底信用し得ないことは火を見るよりも明らかである。

四、以上一ないし三においてゐる申し述べたとおり、被告人は本件確定申告の当時、一定限度以上の株の売買益に課税されるものであることを全く知らなかったので、その申告をしながったまでのことである。しかるに被告人にその知情があるとしてその不申告行為を有罪にした第一審およびこれを維持した原審判決には、いちじるしく正義に反する重大な事実誤認のあることは明白である。そこで速やかに原判決を破棄して無罪の言渡を賜わるか、あるいは本件を原審に差し戻して無実の罪に日夜泣いている被告人およびその家族を救って下さるよう、切に懇願する次第である。

第三点 原判決の刑の量定に甚だしく不当であって、これを破棄しなければいちじるしく正義に反することを認める事由がある。

弁護人は以上のとおり第一審判決ならびにこれを維持した原判決にはいちじるしく正義に反する重大な事実の誤認があると確信するものであるが、万々が一これが容れられなくて有罪の認定が免れないものであるとしても、次の諸情状を考慮すると、原判決はその量刑がはなはだ重きに失し、いちじるしく正義に反すると考えられる。そこで原判決を破棄したうえ、原判決にあるような執行猶予付懲役刑を外して、罰金刑だけで処断願いたいと強く望むものである。

一、被告人の本件犯行の態様はせいぜい「税がかかるかも知れない」という程度の未必の故意で、その犯意は非常に稀薄である。したがってその犯情はすこぶる軽微であるというべきである。この点については前記第二点の事実誤認に関する個所において詳述した被告人に有利な諸事実をすべてここに援用する。

二、被告人は本件につき査察を受けるや、国税当局のいわれるままに修正申告をして、本税、延滞税の全額を完納して誠意を示していることは被告人が第三公判廷において述べたとおりである。ただし重加算税については、被告人は国税通則法六八条一項に該当しないと考えてその納付を拒否するとともに、その賦課の決定を不服として東京地裁民事部にその決定の取消方を提訴し、目下その訴訟が進行中である。(被告人の第一審公判廷における供述、一冊一九八丁以下参照)

三、被告人は昭和三五年に二回、同三九年に一回銃砲刀剣類等所持取締法違反、あるいは傷害で、罰金刑に処に処せられたほか前科はない。

四、被告人は左官業から身を起して小井戸興業およびセイユウ不動産の各株式会社を設立し、従業員約三〇名を擁する建築業ならびに不動産取引業にまで発展させた刻苦勉励、苦学力行の士である。そして右両会社はいずれも被告人が全責任をもって業務遂行に当っているいわばワンマン会社というべきものである。そこでかりに被告人に対し原審同様の執行猶予付懲役刑と罰金刑が併科されるとしたならば、被告人は宅地建物取引業者五条一項三号により執行猶予期間中およびその後の三年間宅地建物取引業を営むことができなくなるのである。そうなると妻子はもとより前記会社の全従業員を路頭に迷わせるという悲惨な結果を招来することになる。これではあまりにも被告人に酷であると言わざるを得ない。

そこで以上の被告人に有利な諸事情を勘案せられて、被告人に対しては第一審判決の執行猶予付懲役刑の部分を除外して、罰金刑だけで処断するか、あるいは本件を原案に差し戻すよう寛大な処置を賜わりたく、切に望んでやまないものである。

(以上)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例